2011年3月11日、今までの当たり前が当たり前でなくなった日、地震のその時に居た場所が運命を分けてしまったということ、その後の行動が周囲の人へもさまざまな影響を与え命を救った人/救われた人がいたこと、日本に限らず津波の影響や地震の揺れを感じなかったような離れた場所の人にもその後の生活に大きな影響を与えたということ。
全世界レベルで互いに影響され合う社会、一国の自然災害として対応すればすむ時代ではなくなりました。真っ先に変わらなければいけない政府、大企業のリーダーの動きが、事態の大きさに対して十分に機能しなかったと感じています。現場レベルでは、自主的に本来の任務の範囲を超えて命がけで懸命に努力した事例を見たり、聞いたりしました。しかし、限られた情報で最良と考えられる決断をするというリーダーシップが発揮されませんでした。3.11から1年を迎えて訓練をした公共交通機関、地域もありましたが、判断力を訓練しているところがなかったことについて私は将来にとても不安を感じました。
自衛隊が活躍したのは日ごろの訓練や統率に加え、危機管理を中心とした軍事学(非常事態において国家の存亡や国民の生命を守るため被害を最小化するという防衛の原則)があったからだと私は考えます。国家の生存、繁栄、自由、平和を守ることについての理論や方法について研究する分野をおろそかにしてきたことが、原発事故を生じたのだと思います。
社会環境が変わると災害による被害も変わります。関東大震災では火災が原因で亡くなった方方が多数を占め、東日本大震災では津波が原因で亡くなった方が多数でした。関東大震災を教訓に都市の建物の防火・耐火が強化されましたし、東日本大震災を教訓として津波対策、原子力対策(電源喪失時の制御)を強化しようとしています。
遺された者として自分には何ができるのか、何をすべきなのか、将来のためにできることを考えておきたいです。